「モチベーションの低下」が原因 --->「手立てがありません」にならないために

今回の内容

 

1: どれほど「モチベーション」は人気があるか

「Motivation=モチベーション」という言葉を辞書で引くと以下の意味だとある。

motivation
【名】
〔人に〕やる気[意欲]を起こさせること
〔何かをする〕意欲、やる気
〔意欲を起こさせる〕誘因、刺激
《心理学》動機付け
レベル7、発音mòutəvéiʃən、カナモゥティベイション、モチベーション、分節mo・ti・va・tion

 

「モチベーションがあがらない」「チームのモチベーションを上げたい」というようなフレーズを聞くことがあると思うが、この場合の「モチベーション」はたぶん「意欲・やる気」を意味していると思われる。

この「モチベーション」という言葉は、いつのころからか市民権を得たのだけれど、それはいつ頃なのだろうか。「モチベーション」で出版されている本を調べてみたところ、たぶん1990年前後がその時期だと思われる。ちなみに結果は以下の通りだった。

 

  • 『モティヴェーションの理論と実際』魚住新八著という本が1949年に出版
  • 1960年代に「行動」と「モチベーション」を組み合わせた研究の本が出版
  • 1989年に「モチベーション」と「マネジメント」を組み合わせた本が多数出だす
    この時、「モチベーション入門」の本が出版されていることからこの時代にモチベーションが再認識された時代と考えられる
  • 1999-2005年の期間、「モチベーション」をベースにした本が毎年出版
  • 2006年から「自分のモチベーション」を維持する方法を記載した本が出版開始
  • 2011年ころから自身が逆境に打ち勝つためのモチベーションの本が出版開始
 
 出版された本の歴史を見ると、最初は自分が管理する組織に対して、どのようにモチベートするか、というテーマが主流だったが、2006年以降は自分自身のモチベーションをどのように管理するか、ということもテーマに上がるようになっている。
なお、当然ながら、この間も「自分が管理する組織をどのようにモチベートするか」というテーマは引き続き出版されている。「モチベーション」で儲けているひとは結構いるなーという感想を持った。
 
 

2: 「モチベーション」の影響力を最小にする

「モチベーション」を様々な行動の原因のひとつとしてとらえることは、人間を対象としている以上、重要な視点だと思う。
どのような時にモチベーションが上がるのか、またその逆は何か、というモチベーションが上下するトリガーを探すことは、特に自身の行動を改善するために有効な手段のひとつになりえる。
個人や集団のパフォーマンスのブレを最小にするために「モチベーション」にフォーカスし、モチベーションに影響されないパフォーマンスを出すためにはどうするか、という議論は建設的な方法だ。
 
そのひとつの方法が、スポーツの世界から近年注目を集めるようになった「ルーティン」だ。ルーティンは「ルーティン作業」という言葉があるように、決まりきった動作というような意味だ。辞書では以下のように記載されている。
routine
【名】
〔一連の〕決められた方法[動作]文例
〔習慣的または機械的に〕繰り返されるもの
〔劇場やクラブなどの〕型通りの演目[出し物・話・アクション]
〈話〉〔通例心のこもっていない〕型にはまった行動[話]文例
《コ》ルーティン◆ある限定された仕事を行うプログラム。
【形】
所定の、定められた通りの
習慣[日課]となっている、決まった、毎日のようにしている
ありふれた、いつもの
レベル5、発音ruːtíːn、カナルーチーン、ルーチン、ルーティーン、変化《複》routines、分節rou・tine
 
スポーツでは精神面の状況が成績に大きく影響を与えるため、プレッシャーやモチベーションに影響されないよう、ルーティンを行うことで感情の上下による影響を少なくするように取り入れられた。
感情は数値化して管理することができないので、ルーティン化した行動によって管理するという方法だ。
「モチベーション」に話を戻すと、繰り返しになるがモチベーションも同様に数値で管理することはできない。
ただし、スポーツの例で分かるように「モチベーション」に左右されないように行動を管理することは可能ということだ。
 
 

3: 「モチベーション」管理について

組織で問題が起こったときにメンバーのモチベーションの低下が原因と言われる場合がある。個人の問題でも同様にモチベーション低下を原因とする場合がある。
 
モチベーションが原因と規定されると、モチベーションを如何に上げるか・高いままで維持するか、という議論になることがあるけれど、問題はモチベーションの低さではない。問題はモチベーションに影響されてパフォーマンスが低下する仕組みになっているということだ。
問題の設定は議論の方向を決める。
だから問題設定を間違えないために、「モチベーションは数値化管理できない」という認識をしっかりと持つ必要がある。
 
「モチベーションが上がらない」「だからパフォーマンスが低くなった」は、「やる気がない」「だからやりませんでした」と同義だ。
組織でも個人でも自身でも、波のあるモチベーションに影響されない仕組みを作ることができれば、パフォーマンスの乱高下は無くなる。
 
ではどのようにしたらモチベーションに影響されない安定したパフォーマンスを出すことができるようになるか。
残念ながら万人に効く方法はない。それは個々人で趣向が異なるからだ。
メジャーリーグの野球選手イチローは、朝起きてからの行動をルーティン化しているそうだ。プロのスポーツ選手はイチローのように行動のルーティン化を行うことでパフォーマンスの水準を安定させるようにしていると聞いた。
 
行動のルーティン化が必ずしも唯一の解決策ではない。
個々人が自分に向き合い、自分に適した方法を発見するしかない。
もしひとりでパフォーマンスの安定化が難しいなら、信頼できる人に相談したり、誰かのマネをしてみるのもいいだろう。
 
読まれた方が「モチベーション」に責任を押し付けて何もしない、というようなことにならないよう、一助になれば幸いだ。
 
ほなまた!
 

*1:Amazon.co.jpで、「モチベーション 本」で検索した結果:2017/5/7時点

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Power of Two -コンビの力強さ-

今回の内容

 

1: 2人⁼コンビ

自分の過去を振り返ってみると、その時々でわたしにはパートナーと呼べる存在がいた。幼馴染、小中高等の学生時代、社会人になってからの各会社の中で。プライベートで。

わたしの好きなTVドラマ風にいうならバディ、お笑い芸人風にいうと相方になるが、明示的にコンビを組んだわけではなく、当時、もっとも時間を共に過ごしたひとのことだ。

当時のパートナーとは、付き合いが続いているひともいれば、疎遠になっているひともいるが、過去のパートナーは総勢20名だ。

 

これまでパートナーがわたしに及ぼした影響については考えたこともなかったが、2017年4月に発売された『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』を読んで、

「ひょっとしてわたしはパートナーにかなりの影響を受けているのではないか?」

と思うようになった。

 

試しにコンビを組んだひとを紙に書き出してみたところ、名前と共に記憶がよみがえってきた。『POWER OF TWO』にあるように、パートナーがいたことで、わたしの時々がどれほど豊かであったか、ということを改めて感じることができた。

 

 

2: コンビでいることの力強さ

イデアというものはどのようにして生まれるか?という議論は、2017年5月現在で既に解明されており、周知となっている。

しかしわたしの学生時代には、アイデアとは何かという問いに関して答えは周知でなかった。

そのような中で、わたしはコンビを組んだパートナーと共に、とても楽しい時間を過ごした。ひとりで遊ぶということはあまりなかったように思う。パートナーと、その他の友人たちと一緒に大勢で遊んでいた。新しい遊びを考えて行ったこともあったかもしれない。いろいろなアイデアが湧きだしていたように思う。つまりパートナーがいたから楽しめたのではないか、と今更感があるが思えるようになったのだ。

 

何か新しいことをやろうとする際、相談できる相手がいるというのは幸運だ。小さい時から相談する癖がついている状況は、大人になってからも役に立つ。

社会人になってからも、仕事では絶えずわたしにはパートナーがいた。先輩の場合もあるし後輩の場合もある。

 

そしてプライベートでもパートナーの存在が大きい。

今回、このプライベート・パートナーの存在が、どれほどわたし自身に多大な恩恵をもたらしてくれているか、ということを実感できたことが大きな気づきだった。これはとても嬉しい。

 

 

3: プライベート・パートナー

プライベート・パートナーとはコンビを組んで10年を超える。

わたしが何かうまく事を運ぶことができた場合、それはパートナーとの積み重ねたふたりの歴史の成果だ。

事を失敗したときも同じ。しかしひとりでいるときと異なり、わたしの失敗はパートナーが支えてくれるし、その失敗はパートナーと一緒に記憶し、失敗を繰り返さないようにパートナーと一緒に考えることができる。

もっというと、今、現在のわたしの状況は、過去のパートナーとの蓄積の上に、現在のパートナーと共に積み重ねた歴史の産物だ。

 

コンビを長く組んでいると、パートナーから受ける影響を過小評価する場合がある。わたしはパートナーからの恩恵を過小評価していた。

わたしが過小評価したのは、錯覚していたということが大きな要因だ。

パートナーとは過ごす時間が長く、共有している記憶が多い。共有部分が多くなると、パートナーのことを「わかった気分」になってしまう。この「わかった気分」が錯覚していた部分だ。

仮に四六時中一緒にいる相手であっても、同じ薔薇の花を見たときの感想は異なる。心の動きや体調などが異なるからだ。

パートナーとは長い時間を共有しているものの、仕事の間は別々だ。だから「わかった気分」は半分は正しいかもしれないが、半分は錯覚だ。

しかし長く一緒にいる分、パートナーからの影響は、ゆっくりと少しずつ、わたしに浸透する。だからわたしはパートナーからの影響を認識することが難しい状態だった。

久しぶりに会うひとから受ける影響は、その度合いを大きく感じることができる。パートナーからの影響度合いは、わたしが鈍感になっているために感じにくい。

だから「パートナーからは影響を受けていない」と錯覚してしまっていた。

 

しかし10年以上のコンビ期間を振り返り、現在のわたしの状況を評価すると、明らかにパートナーから恩恵を受けているし、その恩恵の大きさははかり知れない。

 

時々、わたしは以下のような質問を受ける。

「自分の人生の中で戻れるとしたらどこに戻りたいか?」

わたしは今が一番良い状況なので、特に戻りたいと思う時代はない、と回答している。それはわたしの事実なのだけど、パートナーのお陰でもあったのだと、やっと気づいた。

これからも、同じ回答ができる状況を作っていきたいと、パートナーに感謝しつつ思う。

 

ほなまた!

 

 

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転職活動開始の要諦→タイミングは仕事が絶好調の時

今回の内容

***

 

1: 「仕事をかえる」とは「目的地」の再設定を自分でするということ

「仕事をかえる。」

これは結構なパワーが必要な行為だ。

 

「仕事をかえる」ことを考える際、その原因はいくつか考えることができるが、大きくは2つに大別できる。それは以下のパターンだ。

  1. 現状から離れたいという欲求が強い場合
  2. やりたいことがあって現状を諦めなければならない場合

 

1はその場からの反発力が強い場合で、例えば2つの磁石が同じ極で接しているようなイメージ。現在の職場に吸引力がない状況で、どんどん気持ちが離れていく感じ。

要因としては例えば以下。

  • 現在の仕事の内容や将来に対する不安
  • 現状の給与への不満
  • 同僚や上司への不満
  • 仕事環境への不満

 

一方、2は現在の職場の吸引力よりも、隣の別のものの吸引力が強く引き寄せられるイメージ。

そのような状況になる要因は例えば以下。

  • 定年後も働き続けるために必要なものを見つけ、興味関心がそちらに強くあるが、今の会社ではそれができない
  • 現状よりもチャレンジできる環境・良い待遇・良い環境などを得ることができるチャンスが目の前にある

 

「仕事をかえる」場合のかえ方は、転職する、もしくは独立するという方法がある。

どちらを選択するにしても、「仕事をかえる」という行動は、これまで自分が歩いてきたレールから外れて、新しくレールを作る作業になる。

電車のレールを作る際、物理的な目的地が決まっているから問題ない。しかし人生のレールを作るという行為は、目的地(⁼どこに向かっていくのか)を自分で決めなければならない。だからとてもパワーが必要になる。

 

 

2: 目的地を定め、レールを作る

新しい仕事や職場に思いをはせる時、それは今後自分が進む道について考えてるのであり、なぜその道を進もうと考えているのか、を筋道を立てて考えることになる。

将来という漠然とした先のことを考える時、その「将来」とは1年後を指す場合、5年後、場合によっては老後を指している場合もある。「将来」はひとによって様々だ。

 

「将来」を考える際、優先順位もひとによって様々だ。

お金(収入)に優先度を高く設定するひともいれば、楽しく長く働くことができる職種に重きを置くひと、定年後も働き続けるためにスキルを磨くことに注力したいひともいる。

更にこの優先順位は途中で変わる場合がある。

*** 

当初考えていた最優先課題は、老後生活への漠然とした不安から考えた「資産を今以上のスピードで増やす」だった。

しかし途中で宝くじが当たり老後生活の不安は、このまま現職を続けていても問題なさそうだ。

だから優先課題は「資産を今以上のスピードで増やす」から「スキルアップ」に変わった。

***

または、一年後をターゲットにしていたのが、5年後をターゲットにすることに変更した、というように期間を変更する場合もあるだろう。

 

このように状況が変化すると、新たな課題に一から取り組むことになる。

新しくレールを引き、目的地を設定する作業は、自身に余裕がある状態が必要だ。

 

 

3: 仕事の選択権を持ち続ける

2017年4月現在、「仕事をかえる」と選択したひとのほとんどは、独立ではなく転職を選ぶ。

転職先を探す際、現在の職を辞してから探すひとと、現職を続けながら転職先を探すひとがいる。

どちらの場合であっても、収入源を確保する必要があるひとがほとんどだ。

自身の信念からか、もしくは事情があってか、現職を辞してからの転職先の確保は、失業保険制度があるとはいえ、半年以内に転職先が100%見つかる保障はないので、 可能な限り、現職を続けながら転職先を探す方を選択したい。

これは「ババを引かない」ための手段のひとつだ。

また、現職を続けながら転職先を探す場合でも、先に記載したように、仕事が絶好調の精神的・金銭的余裕がある時に活動をすることが要諦となる。

 

既に仕事を辞している場合は失業保険が切れる期限がタイムリミットになるし、現職が嫌で仕方がない場合は、「はやくそこから脱出したい」という気持ちが優位になるため、吟味不十分で飛びつく結果を招く可能性が高くなる。

例えば以下のような判断をしてしまう場合が想定される。

 

***

[現在の不満]

現職では待遇面で不満がある。なかなか給与が上がらず、この6年間、毎年数千円アップしているだけだ。

[転職候補先の提示]

エージェントを通して進めていた他業種同職種の転職先候補の会社から、現職よりマイナス5%の年収で提示を受けた。なお、エージェント曰く、「この会社は実力が認められたら昇給・昇格は速い」だった。

[自身の判断]

既に半年間も転職活動をしている。今の職場を脱出して新天地で活躍したい気持ちでいっぱいだ。

年収は若干下がるものの、頑張って認められたらすぐに現在の年俸を超えることも可能だから、転職を決めた。

***

上記の決断について、もし現在の仕事が好調な場合だと、以下のように考えをめぐらすことができるかもしれない。

  • 異業種でそんなにすぐに結果を出すことはできるか?普通、時間がかかるだろう
  • 「実力が認められたら昇給・昇格がはやい」とはいえ、「認める」立場のひととソリが合う確証はない
  • 現在でも6年間、昇給といえるようなことはなかった事実がある中で転職先の会社でそんなに簡単に昇給できるか?
  • 転職先の給与は、現在の年収ベースで交渉することになるのに、もし転職先で年収を下げてしまったら、そこが嫌になった場合、転職活動で低い年収ベースの交渉になるよな?それでいいのか?

 

そして余裕がある状態なら、

「とても良い話をいただいたけれど、待遇面で合致しないので今回は辞退する」

という選択ができる。

 

転職活動とは、新たな雇用契約を結ぶための活動であり、企業 vs 個人(自分)の対等な関係の上に結ばれる契約だ。自身の状況・状態から、

企業 ⁼ 個人(自身)

ではなく、

企業 > 個人(自身) (→「個人」が弱い立場になっている)

という状況に、自ら持っていくことは得策ではない。

 

企業が雇用に対して選択権を持つように、個人も会社を選ぶ選択権を持ち続ける必要があるという認識はとても重要だ。

 

 

4: 自分の仕事・キャリア・将来には自分だけが責任を負える

会社や組織はわたしをどこまで守ってくれるのだろうか。

 

会社は雇用契約書や就業規則の範囲で、従業員を守ってくれる。

それは一方で、「従業員の将来については自分で考えてね」というメッセージだ。

 

「わたし」が考えないといけないことは、わたし自身のキャリアは今後どうなるか?ではなく、わたし自身のキャリアは、今後どのようにしていきたいか?だ。

わたしは老後、どのような生活ができるのか?ではなく、わたしは老後、どのような生活をしたいか?だ。

 

会社はわたしのキャリアを作ってはくれない。会社のミッションはわたしのキャリアを作ることではなく、企業を大きくすることだ。

 

自分の仕事・キャリア・将来には自分だけが責任を負うことができる。そのことを忘れてはいけない。

 

ほなまた!

 

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「作品」は「孤独」の表現方法の良し悪しで決まる

今回の内容

***

 

1: ドラマ『カルテット』の面白さ

 

www.tbs.co.jp

 

評論家によると「前評判が高かった割に視聴率が上がらない作品」ということになっている『カルテット』。

松たか子さん、満島ひかりさん、高橋一生さん、松田龍平さんの4名を中心に話が展開される、ミステリー作品(のように思われる)。

 

(参考)

「カルテット」 ドラマ通が絶賛も視聴率低迷の3つの理由│NEWSポストセブン

 

この作品の面白いところは、出演者4名の「孤独」表現のすばらしさ(⁼演技力)だ。

芝居、ドラマ、映画という作品は、物語を構成する役に人格を宿す。

それぞれの役が持つ人格は、それぞれが個として成立する「個性」だ。

 

では「個性」とは何か?

 

それは「孤独」感だ。

 

「個」という単位を認識させようとすると、そこには必ず他者と違う部分が存在しする。「究極的には誰にもわかってもらえない」というもの、もしくは自分自身すら気づかない自分の奥底に沈んで見えない独自性。それが「個」を醸し出し、しいては「孤独」感となる。

 

作品は以下のすべてがうまく融合して独自の世界が表現される。

 

  1. 脚本家は各「個性⁼孤独」を把握し、各個性に言葉を発しさせ、行動をとらせる
  2. 演出家と監督は各「孤独」を認識し、役者に「孤独」を演じさせる
  3. 役者は割り当てられた役の「孤独」を自分のものとし、全体(声、表情、態度、行動)で表現する。

 

脚本された「孤独」は、それぞれが確立されたものであるが、言葉でその「孤独」を表現させる技術が、『カルテット』では素晴らしい。

そして『カルテット』の4人は、各自に割り当てられた「孤独」の表現の仕方が素晴らしい。

演出家は各「孤独」が突出しないよう、絶妙なバランスをとらせて全体感を作り上げているところが素晴らしい。

この絶妙な「孤独」表現が『カルテット』の素晴らしさだ。

 

 

2: 集合的無意識に潜む「孤独」感

 

「孤独」と書くと、「寂しさ」を感じるひとがいるかもしれないが、それは一面に過ぎない。単に「ひとり」という意味だ。

 

人間は皆、内なる「孤独」を知っているとわたしは考えている。

 

ひとは某か「孤独」を感じていて、その孤独感を解消するために行動する。

例えば以下は孤独感を何とかしたいと思っての行動と言える。

 

  • ひとと会う
  • 映画、ドラマをみる
  • 電話する
  • SNSをする

 

これらの行動によって、各人は自身の「孤独」感を癒やす。

ここで言う「孤独」は集合的無意識だ。

 

皆、その「孤独」を知っているけど意識していない。

だから作品が、各人の無意識下にある「孤独」を震わせることができたら、そしてより多くのひとを揺さぶることができたら、その作品はヒットする。

 

集合的無意識は、Wikipediaによると以下だ。

 

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団民族人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。

元型の作用と、その結果として個人の空想に現れるある種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。

人間の行動思考判断は、自我と外的世界との相互作用で決まって来る面があるが、他方、集合的無意識に存在するとされる諸元型の力動作用にも影響される面がある。

 

 

(参考)

info.asahi.com

 

 

3: 「孤独」感の醸し出し方に力量が出る

 

作品はひとりで完結させることができるものもあるが、協力して完結させるものも多い。

わたしの好きなTVドラマは、多数が関わる作品の典型だ。

 

これまでわたしは、ただ思いに任せてドラマを観ていた。

しかし集合的無意識に潜む「孤独」の存在を意識してから、作品を見る目が変わった。

 

「孤独」表現は作品全体で行われるため、各担当が自分の役割でしっかり表現できないと、作品をダメにする。

その意味で、日曜劇場『A LIFE』は、役者は役割を果たせるメンバーだったとおもうけど、脚本が役割を果たさなかったと思う作品だった。(2話で離脱した)

 

でも、わたしはTVドラマを観るための基準を得た。

これからもTVドラマが楽しみだ。

 

ほなまた!

 

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報告する「レベル感」がわからないのはなぜか

今回の内容

***

 

1: 報告内容が具体的過ぎません?

会議などで報告・共有する際に、以下のようなフィードバックをもらうこと、もしくはもらっているひとを見たという経験は、20歳以上のひとならあるだろう。

 

  • 「相手は部長なんだからもっとレベル感を上げた内容にしないと!」
  • 「相手は技術のことなんてわからないから、もっとわかりやすく話して!」

 

報告や共有する際、何を話すかの準備をしない場合は、上記のようなフィードバックをもらってしかるべきだと思う。

しかし自分なりに準備をして報告や共有に臨んでいるのに、「レベル感が違う」と言われてしまう。

周りは何がしかのアドバイスをしてくれる場合もある。しかしそのアドバイスを実践してみても、変わらず「レベル感が違う」と言われしまい、いったい何がどうなっているのか、まったくわからないという悪循環に陥っているひともいるだろう。

何でこうなるのだろうか。

 

 

2: 報告相手とのチューニングが合っていない

話してと聞き手の間に違和感が出るのは、話し手と聞き手のチューニングが合っていないからだ。

自分が関わるすべてのひと(親兄弟を含む)との会話で、毎回100%、違和感があり分かり合えないというひとはほとんどいないだろう。

そうであるなら「自分はあほではない。ちゃんと伝える能力を備えているのだ。」と自信を持っていい。

それでは相手とのチューニングはどのように合わせたら良いのだろうか。

 

 

3: 解決方法:持ち時間の7割で準備する

結論からいうと、「チューニングを合わせる」ことには焦点を当てない。

焦点を当てるのは、決められた時間の7割程度の時間で伝えたいことをまとめるということだ。10分の持ち時間なら7分で終わらせる内容にすること。

 

決められた時間の7割と書いたが、この7という数字は根拠はない。

10分の持ち時間で、6分でも8分でもいい。ポイントは持ち時間よりも短い時間で伝えたいことをまとめる、ということだ。

だたし、早口でまくしたてて話す7分ではない。普通に話をしての7分だ。

 

ひとは時間を決めないと余計なことまでしゃべる習性がある

例えば最近のできごとを話してみる。話す際、タイマーで計ること。5分があっと言う間に過ぎることを体感してほしい。(その程度の話をしてみること)

次に、5分程度で終わった同じ内容を、3分に縮めて話してみる。

10回くらい練習して3分程度で話ができるようになったとする。さあ、5分で話した内容と3分で話した内容では何が違っているだろうか。

内容の変化は以下の2つのタイプがある。

 

  • 内容を削って時間短縮
  • どうしても入れたい内容だったので、複数の内容をまとめて時間短縮

 

最初の「内容を削る」は簡単な方法だ。しかし話したい内容によっては、内容を削ることでは3分に収まらないというケースがある。

この時に2つ目の「複数の内容をまとめる」という作業が必要になる。

このまとめる作業は、内容を抽象化する作業だ。難しい作業のひとつ。

このように、時間を決めないといくらでも余計なことを盛り込んでしまうのがひとの習性だ。

 

短い時間でまとめるということの効果

持ち時間をあえて短く設定して準備するのは、内容をまとめて短くする、つまり内容の抽象度を高めるという効果が必然的に期待できる。

抽象度が高くなると、逆に「具体的には?」と聞かれるのではないか、と疑問を持たれるかもしれない。

その視点は正しい。しかし10分の持ち時間を7分で終わらせたのだから、残りの3分で具体的な部分を補足すればいい。

 

「短い時間設定で内容を考える」というシンプルな行動。

しかし実際にやるとなると難しいことではある。

 

やるか?やらないか?

 

 

 4: (おまけ)やってはいけないフィードバック

 後輩や部下を見ていて、報告する「レベル感」がわかってないなーと感じる時、やってしまいがちな、しかしやってはいけないことは以下だ。

 

  1. 報告内容の「内容をどのように削るか」を指摘する
  2. 「どうしたら改善すると思う?」と考えさせて放置する
  3. 「報告する相手の立場に立って内容を考えろ」と指導する

 

上記3つとも、報告者の行動が改善されないフィードバックで、あなたは何もやっていないのと同じだ。

まあ、3つともわたしが通った道だけどねー。

NG1: 報告内容の「内容をどのように削るか」を指摘する

内容を削ることは、レベル感の改善にはつながらない。

あなたが「なぜこの部分を削った方がよいと思ったか」について丁寧に説明し、報告者が納得したとしても、その説明は半分以上が理論ではなくあなたの感情(好き嫌い)だ。

感情は報告者は理解したつもりにはなれるけれど、それ以上にはならない。つまり報告者が別の報告をする際には、そのフィードバックは役に立たない。逆に混乱させるだけだ。

深い理解が足りていないのではないか、と疑った方がいい。

 

NG2: 「どうしたら改善すると思う?」と考えさせて放置する

ひとは普通は考えている。その上で改善が見られないところに、更に「考えさせる」という発想は、あなたの能力が低い可能性を疑った方がいい。

 

NG3: 「報告する相手の立場に立って内容を考えろ」と指導する

人間は感情の生き物だ。

報告する相手に確認しても、本番で違うことを言う人間がいる。状況が変われば立場(立ち位置)は変わる。それが人間だ。

そんなコロコロ変わる「相手の立場」を基準に物事を判断しているというのは、博打をしているのと同じだ。

それを指導するというのは、あなたの指導力を見直した方がいい。

 

 

ほなまた!

 

 

 

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