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「選択」するっていろいろあるけど-『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランクル著を読んで-

今回の内容

 ***

 

「人生は選択の連続である」

「人生は選択の連続である」とシェークスピアは言ったそうだ。

誰もがこのシェークスピアの言葉を聞いて納得感があると思う。だって皆、何がしか選択をして今の自分があるから。

 

でもこの言葉、漠然としている。「選択」ってなんだろう?何を「選択」するのだろう?

 

学生時代に一度読んだ、『夜と霧』という本を久しぶりに手に取った。この本は第二次世界大戦中のドイツ、アウシュビッツ収容所での体験記。

これまで、私はこの本を、「悲惨な状態であっても誰も自身の心までは支配できない」ということを伝えている本だと思っていた。

しかし読み返してみて、本書は「人生における選択についての自由」について記載した本だと認識を新たにしたので、記載しておきたい。

 

 

「3つの選択」-若干、哲学的-

私が今回、本書から読み取った「選択」は3つある。以下がその「選択」。少し哲学っぽいというか、心理学っぽい内容だ。

 

  1. 自身がどのような人間でありたいか、それは置かれている環境がどういう状況であれ自身の選択で決めることができる
  2. 「なぜ生きているのか」と理由を追い求めるか、「何のために生きるか」と価値を考えるか、それは自身で選択で決めることができる
  3. 流れに身を任せるか、自身で策を講じて動くか、それは自身の選択で決めることができる

 

心理学っぽい内容なのは実は仕方がない。著者が心理学者だから。

以下、この「3つの選択」について記載する。

 

自身がどのような人間でありたいか、それは置かれている環境がどういう状況であれ自身の選択で決めることができる

わたしは本書が、

 

どんな劣悪な環境でも、「どのような人間でありたいか」は自分で決めることができる

 

という考え方がメインの本だと思っていた。例えば以下のように考えることができるというもの。

 

現代社会ではいろんなハラスメントがある。どんなひどいハラスメントを受けたとしても(例えそれが暴力だったとしても)、あなたの心の中までは支配できない。

ハラスメントを受けて、「自分が悪いのだ」と自分を責めるのも、「自分は悪くない、あいつが悪い」と相手を責めるのも、本人の自由。そしてそこに留まるのも、そこから脱出するのも、自分自身で決めることができる。どんな状況でも「縛るのは自分自身」だ。

 

実際には、ハラスメントを行うひとは巧妙に対象者を囲い込み、ハンティングするので、いつの間にか抵抗できなくなって、場合によっては病んでしまうこともある。

だけど「誰も私の心までは支配できない」という考え方は勇気を与えてくれる。

「我慢する」は美徳ではない。ひとは逃げてもいいのだ。

 

 

「なぜ生きているのか」と理由を追い求めるか、「何のために生きるか」と価値を考えるか、それは自身で選択で決めることができる

辛い状況になった時、生きている意味を考えることが多いかもしれない。しかし生きている意味を見つけることができなかったらどうなるか?絶望しないか?

 

ならば考え方を根本的に変えよう。生きている理由を求めるのではなく、先ずは生きている自身を肯定し、その生を何のために活かすか、役に立たせるか、それを自分で決めたらいい。

自分の存在が何かの役にたっているなら、そのために生きたらいい。例えば自分の配偶者のため、子供のためなど。対象者がいなければモノでもいい。

自分の存在が何かの役にたっていると思えないなら、新しく何の役にたちたいか、を考えてみてもいい。

 

「目的があり自分は生かされている」ではなく、「自分が先ずはあり、目的・価値を後から作る」という考え方。

「自分は何によって評価されたいか?」を考えてみると良いかもしれない。

 

 

 流れに身を任せるか、自身で策を講じて動くか、それは自身の選択で決めることができる

これは先の2つとは違って、選択の良し悪しがない。つまり難しい「選択」になる。

自身を取り巻く環境は、多くの要因が複雑に絡み合って動いている。人知を超えていて、予測は不可能。

そんな中で、そこに留まり流れに身を任せるか、自ら動いて状況を変えるかは、どっちを選択してもリスクがある。

つまり、「リスクの選択」ともいえる。どっちのリスクが小さいか?の選択。予測が難しいから、最後は自分で決めるしかない。

 

ひとつ言えるとしたら、繰り返しになるけど、「両方ともにリスクがあると認識したほうがいい」ということかな。

 

ほなまた!

 

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