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データを基準にした意志決定:『科捜研の女』と『フラジャイル』

批評

今回の内容

 
 
 
 ***
 


1:はじめに

録画しているTVドラマを観ることで土日がつぶれるという日が続いていたけど、後半に入ってくると観るドラマが淘汰されてくるので時間に余裕が生まれる。
 
前から少し気になっていた、
 
 
を考えていたところ、『フラジャイル』のおかげで理由がわかった。
 
それは、ドラマの作り方が「データを基準にした意志決定」の話だから。
 
ということで、今回はその話。

 

 

2:TVドラマのパターン

わたしはテレビドラマを選択する際、先ずは録画して一度観てから録画を継続するか否かを判断する。
 
中には初回から録画しなすい、もしくはバッティングで録画出来ない場合もある。
 
録画継続のポイントは、面白いと思うか否か。単純だ。
 
TVドラマの面白さってどこにあるのだろうか。
 
TVドラマの面白さのパターンは、わたしが感じているのでいうと以下に分類できる。
 
  1. 予定調和的な「すっきり」感
  2. 謎解き的「なるほど」感
  3. 新しい知識を得るような「満足」感
  4. 身近な内容の「疑似体験」感
  5. ありえない「ハラハラ」感
 
他に分類が思いついたら追加するけど、まあこんな感じ。基本的にこのどこか、もしくは組合わせの面白さが個々のTVドラマにはあって、録画する対象となる。
 
 

3:データ重視の面白さ

科捜研の女』は今回のシリーズで初めて面白いと知った。
これまでは特に観てなかったからわからないのだけれど、1と2と3が混ざっている面白さがあると感じている。
 
加えて、『フラジャイル』を観ていて気付いたのだけれど、『科捜研の女』には『フラジャイル』と同じ、データ重視の理屈をベースに問題を解決する、という共通の展開がある。
 
それは、決断、判断の根拠に経験や勘を置くのではなく、データから得た結果をもとに判断を下すということ。
 
もちろん、データを使っても、最終的な判断は合理的ではない場合もあるかもしれない。けれど、決断までの過程はBetterだと思う。
 
 

4:データによる意志決定の良いところ

データを基準にした意志決定については、野村克也さんがヤクルトスワローズ監督時代に「ID野球」が、私の中では最初かもしれない。
 
データを取って、それを意志決定の基準にすると言うことは、つまりは平均値を基準に使うということ。
 
平均値を使う場合、データの平均値からのばらつきは考慮しないといけないけど、平均値を使うメリットは大きい。例えば以下。
 
  • 失敗する確率を下げることができる
  • 誰でも近い判断を下すことができる
統計学を学んだことがない場合、平均値は「その出来事が一番起こりやすい値」と、便宜上、とらえてほしい。(本当に理解したい場合は統計学を勉強してね)
 
「一番起こりやすい値はこれ」と過去の実績が示しているので、環境が変わらなければ、同じことが起こる可能性が高い。だから失敗する可能性が低くなる。
 
一方、統計学を学んでいても実学として統計学を使ったことが無い場合は、「誰でも近い判断を下すことができる」というメリットは思い付きにくいかもしれない。
 
 

5:実学としてのデータ活用

意志決定は某かの基準にそって行われる。
 
その基準は、経験やひらめき(勘)、統計値だったりする。
 
経験や勘は個人差があるため、他人に教えることが難しい。また仮に教えることがてきても、時間がかかる。
 
一方で統計値を使った意志決定は、統計値の使い方を教えることができれば、経験がないひとでもベテランと同じ情報を持つことができる。
 
つまり、経験差によって、事前情報の質と量が異なり、結果的に意志決定の違いをもたらしている場合、データ分析をベースに事前情報の質を高めることで、経験差をある程度、埋めることができるなら、経験を積むための無駄な時間は必要なくなるということ。
 
最終的な意志決定は、経験差に依存する場合があるかもしれない。
しかしクリティカルな状況が20回中1回あるかないか、程度ならば、データ分析をベースにする体制を作る方がメリットがある。
 
 
 
ところで、『科捜研の女』は、舞台が科捜研なので科学捜査がベース。毎回、地道にデータ収集、分析、判断を繰り返す。
 
主人公は諦めない姿勢で、時に変わった科学実験を実施し、事件を解決に導く。
 
AIの進歩がニュース欄を賑わす昨今において、データを扱う職につくひとのあり方を表現しているようにも感じる。
 
 
『フラジャイル』は病理学を使って、病気の原因を確定する検査を行う。
 
ドラマを観ている限りだと、標本としての細胞があり、病気に犯された場合の細胞と標本の比較によって、病気を確定(判断)する。
 
ドラマでは、新人の病理医が、データの見方と判断の仕方をベテラン病理医から学んでいる。そこに経験、勘が入る余地はない。
 
データは嘘をつかないという視点は、両方のドラマに共通している前提。
 
 
ドラマひとつとっても、文章にする事でいろいろ学ぶことが出てくるなと、文末で思った次第。
 
 
 
ほなまた!
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