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演劇とTVドラマ:『Disgraced』と朝の連ドラ

演劇

今回の内容

 
 
 
 ***
 
 

1:はじめに

 
最後に芝居を観たのはいつだったか。10年くらい前だろうか。
 
TVドラマ好きが高じてか、小日向文世さんと安田顕さんが出演していた芝居、『Disgraced -恥辱-』を観に行った。
 
 
興味深い内容で観劇後に様々なことを考えた。今日はそんな話。
※若干長いよー
 
 

2: 米国における人種問題のわたしの認識(観劇前)

 
役どころは、パキスタン系アメリカ人を主人公に、以下の人種構成だった。
 
  • パキスタン系アメリカ人:主人公
  • 白人:主人公の妻
  • ユダヤ系アメリカ人:主人公の妻の仕事関係
  • 黒人:ユダヤ系アメリカ人の妻
 
ホームページを見ただけで、内容に興味を持てるひと(演者を問わずね)は、米国に某かの関わりを持っていて人種問題を知っているひとくらいではないだろうか。
 
わたしが米国に滞在したのは、最長で約1か月弱しかないのだけれど、学生時代に「多文化主義」(当時は、Multiculturismと言っていた)に興味を持っていたので、学術的に文化的・人種的多様な、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ベルギーに興味を持っていた。
上記の国以外にも、文化的多様性を内包する国はたくさんある。例えばアジアだと、わたしの認識している限りにおいて、マレーシア、シンガポール、中国も多様性を内包している。
 
そんなわたしの米国の人種問題に対する知識は以下のような認識でいた。
しかし、芝居で描かれていた風景は異なるものだったのだけれども。
 
***
 

白人についての認識

 
アメリカ大陸が発見されてから、ヨーロッパからの移民が入ったが、その中でも英国系移民は、WASPと呼ばれ主導的な地位を得ていた。WikipediaによるとWASPとは以下である。
 
WASP(ワスプ)とは、「ホワイト・アングロサクソンプロテスタント」の頭文字をとった略語である。

アメリカ合衆国における白人エリート支配層の保守派を指す造語であり、当初は彼らと主に競争関係にあったアイリッシュカトリックにより使われていた。
エドワード・ディグビー・ボルツェルが1964年に「プロテスタントの結成:アメリカの貴族とカースト制度」を著したことで一般にも用いられるようになった。この語の指示範囲は使用者によりまちまちであり、イングランド系を指す場合と長老派教会や会衆派教会米国聖公会に属するスコッチ・アイリッシュやウェルシュ、スコティッシュなどむしろケルト系のものまで含む場合もある。
 
社会学者のウィリアム・トンプソンとジョーゼフ・ヒッキーは、この言葉の意味の曖昧さを指摘して以下のように述べている。
 
WASP という語には多くの意味がある。社会学では、この語は北西ヨーロッパに家系のルーツを持ち米国建国の担い手となった集団を意味するが、今日では意味が拡大し、多くの人々にとって WASP とはいかなるマイノリティ集団にも属さないほとんどの「白人」を指す語となっている。」
 
 WASPは当初は英国系白人を意味していたが、相対的に地位の低かったアイリッシュ系白人が、Whiteness(=白人)という言葉を使うようになり、自身の地位を高め、非白人との差別化を図った。
 
KKK(クークラックスクラン)は、(わたしの認識では)地位が相対的に低かったカトリック系白人が、自身の地位を高めるために、「Whiteness」というカテゴリーを作り、vs.非白人の立場で、過ぎた主張をするようになった集団だった。
しかしWikipediaによるとわたしの認識とは異なるようだ。
 

クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)は、アメリカの秘密結社、白人至上主義団体である。

「白人至上主義団体」とされるが、正確には北方人種を至上とし(ノルディック・イデオロギーという)、主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。

マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ、神(エホバ)による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。

名前の由来はギリシャ語の「kuklos(円環、集まりの意)」の転訛と英語の「clan(氏族、一族)」を変形させたものと言われる。団員は「クークラクサー」、もしくは「クランズマン」と呼ばれた。

白装束で頭部全体を覆う三角白頭巾を被りつつデモ活動を行う集団として世間で認知されている。

 
 

黒人についての認識

 
白人の米国入植後に、アフリカ大陸から「奴隷」としてアフリカの人々がアメリカ大陸に輸入され、彼らは特に米国南部で奴隷的地位に置かれた。
1960年代になり、公民権運動が起こり、徐々に黒人の地位が高まる。
 
何年からかは知らないが、アファーマティブ・アクションが制度として大学入試に導入され、黒人の学力が高まってくる。(以下はWikipedia)
 
アファーマティブ・アクション(英: affirmative action)とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。この場合の是正措置とは、民族や人種や出自による差別と貧困に悩む被差別集団の進学や就職や職場における昇進においての特別な採用枠の設置や試験点数の割り増しなどの直接の優遇措置を指す。
 
しかしながら、このアファーマティブ・アクションには、白人から「逆差別だ」と訴えがおこり、問題もはらんでいた。
本施策の結果、アファーマティブ・アクションで入学してくる黒人よりも、成績が良かった白人が、大学に入学できない、という状況が起こったことで表面化した問題だ。
 
 

パキスタン系アメリカ人についての認識

 
一方、パキスタン系アメリカ人は、9.11以降、「ムスリム」という理由で差別がある、という認識でいた。
事前の知識はこれで問題ないと思っていた。
 
 

ユダヤ系アメリカ人についての認識

 
ユダヤ系アメリカ人については、知識を持っていなかった。
 
そこで観劇前にユダヤ系米国人については知っておく必要があると思い、Google先生に教わった。
 
ユダヤ人は、帝政ローマの時代に、ローマに反旗を掲げたことで、ローマ帝国に自治国を滅ぼされ、その後流浪の民として各地に散らばって住むようになった。
 
各地にちらばった仲間とは緩いつながりを維持し、長い時間をかけて離れた仲間と貿易をするようになり、その過程で保険の知識や金融の知識を得ていったようだ。
 
勤勉な民族性もあり、富を得るひとが多かったようだが、当時キリスト教が禁じていた金貸し業などにも進出したようだが、迫害はいたるところで受けていたようだ。
 
米国に移民として入ってきたドイツ圏にいたユダヤ人は、宗教的にも比較的厳格ではなかったようで、米国の白人に次ぐ地位を得て、金融業、メディア業で富を築いた。
 
一方その後に米国に移民してきた、東欧系のユダヤ人はドイツ系ユダヤ人と異なり、金融の知識を持っていなかったこと、また宗教的に厳格だったことから、米国でも差別の対象になったようだ。
 
当初は裁縫くず鉄業や廃品処理など、米国でWASPが避けた職や、手に職を持っていたひとが服飾業で生計をたてたりしていたが、環境問題への関心の高まりや、服飾業から映画業界に転身したユダヤ人が、富を築くようになった。
 
なお、当時、映画産業は演劇とことなり、低賃金者の娯楽という位置づけだったようだ。その後、時代が変わり映画産業が急成長したようだ。
 
ユダヤ系アメリカ人で有名なひとは、例えば以下のサイトに載っているひとたち。
「へー」というひとが多い。
 
 
 
ちなみに、イスラエルに約550万人のユダヤ人が住んでいるが、米国には約510万人のユダヤ系アメリカ人が住んでいる。
米国のユダヤ系アメリカ人の人工比率は約2%だ。
※2007年ころの統計値
 
 
長くなったが、歴史的な認識は以上の状況で、『Disgraced』に臨んだ。
 
 

3: 『Disgraced』の訴えた生々しさは伝わったか?

 
『Disgraced』はセリフ劇(科白劇)だ。俳優がセリフと動作だけで表現する舞台。
観劇前の興味としては、人種の違いをどのように表現するのか、ということだった。
 
米国在住者なら、肌の色、髪型、服装、匂い、食事内容など、様々のところで人種的な違いを日々、肌で感じることができるだろう。
 
日本という国も、真剣に考えれば文化的に多様であることはわかる。
例えば正月の「雑煮」ひとつとっても、地域によって汁や具が異なる。それはそれは多様だ。言葉も地域によって異なる。
 
しかし、米国における多様性とは質が異なる。日本人に米国の多様性をどのように理解させるのか。興味があった。
 
 
率直な感想からすると、米国の歴史を自分なりに理解しているひとと、米国の歴史をまったく知らないひととでは、内容の理解度は異なると思う。
 
主人公のパキスタン系米国人の葛藤は、多くの人が理解できるだろうが、白人、ユダヤ系、黒人の3名の行動・考え方を理解するには、長い時間をかけて醸成された人種的感情を、ステレオタイプででも知っていないと理解が難しい。
 
その意味において、日本での公演はチャレンジングだったと思うが、わたしが観た東京公演(千秋楽の1日前)では、2・3階席は空席が目立ったものの、1階席は満席だったことから、日本での関心の高さがうかがえた。
 
 

4: つい、朝の連ドラと比較してしまった

 
わたしはTVドラマが好きで、現在は『とと姉ちゃん』ロスだが、朝の連ドラのように、10か月同じ人物を演じる(しかも繰り返しではなく、そのひとの人生)のと、『Disgraced』のように、舞台の公演をするのとでは、役者の立場では何か違いがあるのかな?と興味を持った。
 
『Disgraced』は公演前に、長い時間をかけてその役を自身に取り込む。
何度も台本を読み、時代背景を調べ、その人物を深く理解する作業が舞台の仕事だと思われる。
この仕事は、舞台を繰り返し上演することで役者に染み込み、役者の認識も変わるかもしれない。舞台好きなひとは、初日、中日、千秋楽と3度観に行くというのを聞いたことがあるが、舞台の面白さは、上演回数によって役者が成長することにあるのだと、それを聞いて思った。
 
一方、朝の連ドラは同じ芝居を繰り返すことはないけれど、10か月もの間、同じ人物を演じることが特徴だ。『とと姉ちゃん』を例にすると、少女期から定年以上までを演じている。
正直なところ、後半は俳優の肌のはりが良すぎて年齢不詳の「美魔女」集団になっているのはいただけない。
しかし俳優が自身の年齢以上の役を演じるところもまた、興味深い点でもあるのが朝の連ドラだ。
 
ひとりの人生を長く演じることの魅力については、今日、『べっぴんさん』の芳根京子さんと蓮佛美沙子さんが土曜スタジオパークで、連ドラの魅力のひとつとして語っていた。
 
 
 
 

5: 演じるって大変だなと思ったわ

 
他人の人生を演じるというのはどんな感覚なのだろう。
演技の経験がないからわからない感覚だけど、少なくとも、数回はいいけど、演劇のように繰り返し演じたり、映画やドラマの撮影みたく、数か月拘束されるのには、わたしは絶えることができなさそうだ。
 
だけど、そのような仕事をこなすことができる俳優さんたちの作品を、これからも楽しみにしている。
 
 
ほなまた!
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