「作品」は「孤独」の表現方法の良し悪しで決まる

今回の内容

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1: ドラマ『カルテット』の面白さ

 

www.tbs.co.jp

 

評論家によると「前評判が高かった割に視聴率が上がらない作品」ということになっている『カルテット』。

松たか子さん、満島ひかりさん、高橋一生さん、松田龍平さんの4名を中心に話が展開される、ミステリー作品(のように思われる)。

 

(参考)

「カルテット」 ドラマ通が絶賛も視聴率低迷の3つの理由│NEWSポストセブン

 

この作品の面白いところは、出演者4名の「孤独」表現のすばらしさ(⁼演技力)だ。

芝居、ドラマ、映画という作品は、物語を構成する役に人格を宿す。

それぞれの役が持つ人格は、それぞれが個として成立する「個性」だ。

 

では「個性」とは何か?

 

それは「孤独」感だ。

 

「個」という単位を認識させようとすると、そこには必ず他者と違う部分が存在しする。「究極的には誰にもわかってもらえない」というもの、もしくは自分自身すら気づかない自分の奥底に沈んで見えない独自性。それが「個」を醸し出し、しいては「孤独」感となる。

 

作品は以下のすべてがうまく融合して独自の世界が表現される。

 

  1. 脚本家は各「個性⁼孤独」を把握し、各個性に言葉を発しさせ、行動をとらせる
  2. 演出家と監督は各「孤独」を認識し、役者に「孤独」を演じさせる
  3. 役者は割り当てられた役の「孤独」を自分のものとし、全体(声、表情、態度、行動)で表現する。

 

脚本された「孤独」は、それぞれが確立されたものであるが、言葉でその「孤独」を表現させる技術が、『カルテット』では素晴らしい。

そして『カルテット』の4人は、各自に割り当てられた「孤独」の表現の仕方が素晴らしい。

演出家は各「孤独」が突出しないよう、絶妙なバランスをとらせて全体感を作り上げているところが素晴らしい。

この絶妙な「孤独」表現が『カルテット』の素晴らしさだ。

 

 

2: 集合的無意識に潜む「孤独」感

 

「孤独」と書くと、「寂しさ」を感じるひとがいるかもしれないが、それは一面に過ぎない。単に「ひとり」という意味だ。

 

人間は皆、内なる「孤独」を知っているとわたしは考えている。

 

ひとは某か「孤独」を感じていて、その孤独感を解消するために行動する。

例えば以下は孤独感を何とかしたいと思っての行動と言える。

 

  • ひとと会う
  • 映画、ドラマをみる
  • 電話する
  • SNSをする

 

これらの行動によって、各人は自身の「孤独」感を癒やす。

ここで言う「孤独」は集合的無意識だ。

 

皆、その「孤独」を知っているけど意識していない。

だから作品が、各人の無意識下にある「孤独」を震わせることができたら、そしてより多くのひとを揺さぶることができたら、その作品はヒットする。

 

集合的無意識は、Wikipediaによると以下だ。

 

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団民族人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。

元型の作用と、その結果として個人の空想に現れるある種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。

人間の行動思考判断は、自我と外的世界との相互作用で決まって来る面があるが、他方、集合的無意識に存在するとされる諸元型の力動作用にも影響される面がある。

 

 

(参考)

info.asahi.com

 

 

3: 「孤独」感の醸し出し方に力量が出る

 

作品はひとりで完結させることができるものもあるが、協力して完結させるものも多い。

わたしの好きなTVドラマは、多数が関わる作品の典型だ。

 

これまでわたしは、ただ思いに任せてドラマを観ていた。

しかし集合的無意識に潜む「孤独」の存在を意識してから、作品を見る目が変わった。

 

「孤独」表現は作品全体で行われるため、各担当が自分の役割でしっかり表現できないと、作品をダメにする。

その意味で、日曜劇場『A LIFE』は、役者は役割を果たせるメンバーだったとおもうけど、脚本が役割を果たさなかったと思う作品だった。(2話で離脱した)

 

でも、わたしはTVドラマを観るための基準を得た。

これからもTVドラマが楽しみだ。